毒親という言葉がなかった頃の毒親と子供の話

『毒親』と聞くと多くの人が、「あんな人のことだな」とイメージできるくらい世の中に浸透している言葉になっている。
私が子供の頃(昭和)は毒親という言葉はなかった。
だから自分の親が毒親だと知ったのは大人になってからだった。

内容が重たいときは関係ないネコちゃん画像で中和します

毒親…、嫌な言葉だけれどまさにその通り

そもそも『毒親』という言葉が生まれたのはスーザン・フォワード著『毒になる親』からのようである。
恥ずかしながら私はその本を読んだことはない。
ただ、その後のネット記事や毒親に育てられた人のブログなどを見て、私の親(主に母親)も毒親なんだと気付いた。

はじめは毒親という響きがもうなんだかとても禍々しくて嫌悪感があった。
だが自分の親がそうだと気付いた時は、「なんてうまい表現なんだ!言いえて妙とはまさにこのこと!」と膝を打った。


昭和の毒親と子供 ~私の場合~

私の母はヒステリック&モラハラタイプの毒親だった。
私は三姉妹の真ん中。
母は姉妹全員にそれなりに厳しかったが、私が一番怒られていた。
ひどい時期は小学3~5年生くらいだった気がする。

毎日学校から帰ると母がやってきて、叱責が始まる。
内容は覚えていないが、「なんでアンタはこうもダメなんだ!」ということだったと思う。
グズ・素直じゃない・だらしない・自分に甘く他人に厳しい・強情等のネガティブワードをてんこ盛りにして怒鳴り続ける。
私は序盤からベソベソ泣いているのだが、母の怒りは収まらない。
とにかく静かにして嵐が過ぎ去るのを待っていても、そうは問屋が卸さない。
母が一方的に話して済むかと思いきや、恐ろしいことに時々私に返答を求めてくるのだ。
その時になんとこたえるかで火に油を注ぐか若干鎮静化するかが決まるので、こちらもうまいことを言わなければならない。
ただ、トリガーとなる言葉を避けつつなんとかこたえても、その後も母の気が済むまで説教は続くのだが。

当時の自分はいわゆる普通の小学生女児で、毎日問題行動を起こしていた記憶はない。
そんな子供に毎日帰宅と同時に怒り散らす母親のほうがおかしいと今では思う。
でも子供の頃の自分は、毎日叱られて「なんで私はこうもダメなんだ」と普通に考えていた。
そして私は立派なアダルトチルドレンになったそうな。

過去は変えられない。でも過去のイメージは変えられる。

こうして帰宅後の説教タイムを毎日のルーティンとしてこなしていた私だが、ある日、自ら引き金を引いてしまった。
その日も怒涛のダメ出しを食らいまくり、ベソベソ泣きながらではあるがトラップのような質問もなんとかクリアし、その日の説教は終わった。
そして母がその場を離れた瞬間、私は結構デカい声で「ふーんだ!」と言ってしまったのだ。
多分心の声が爆音で漏れたんだと思う。
私の声を聞いて振り返ってこちらに向かってくる母!
やべぇ!私は逃げようと思ったが捕まって胸ぐらをつかまれたかひっぱたかれたかした。
そして…、「ふーんだ!」という間の抜けたゴングにより、第2ラウンドが始まってしまった。

それにしても出た言葉が、「バカ」とか「鬼ばばぁ」とか「大嫌い」とかでなく「ふーんだ!」というのもその後のダメージが少しでも軽くなるように、自分なりに考えたんだろうな。

ヘタレな自分が唯一反撃できた(ショボいけど…)一件だったので今でもよく覚えている。
そしてこの情景は自分の脳内では『8時だよ全員集合!』の母ちゃんコントとリンクしている。
ドリフのメンバー扮する子供たちが余計なことを言って、いかりや長介扮する母ちゃんを怒らせ、どつかれるっていうアレ。
私がやったことってコントだったんだ!
結構面白いじゃないか。

今の自分が当時の自分に声を掛けてあげるとしたら、
「「ふーんだ!」のタイミングは良かったよ。で、お母さんが鬼の形相でこっちに向かってきたとき逃げ切っていればなお良かったね。心の中で♪チャンチャンチャン チャンチャカチャンチャン(コントの舞台撤収時の音楽)って口ずさみながらだともっと臨場感が増すよ!」
かな。
なんなら、撤収と同時に舞台袖からニコニコ出てくるアイドルの真似して歌まで歌えたらよかった。
もちろん心の中で。


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